平洲先生
ページ番号1000642 更新日 平成29年2月23日 印刷
- 1728年
- 6月28日 尾張の国知多郡平島村(いまでいう愛知県東海市荒尾町)に生まれる。
- 1735年
- 観音寺の義観和尚に学ぶ。
- 1743年
- 京都に遊学。独学で読書にふける。
- 1744年
- 京都より帰る。名古屋で家塾・叢桂社を開いた中西淡淵に入門。
- 1745年
- 淡淵のすすめで、長崎に遊学し、中国語を学ぶ。
- 1751年
- 江戸へ行き、私塾、玉笛樓を開く。
- 1754年
- 伊予西条藩主・松平頼淳(後の徳川治貞)の師となる。
- 同年
- 神田柳原に引っ越し、私塾を嚶鳴館と名づける。
- 1757年
- 「詩経古伝」の稿本を完成させる。
- 1764年
- 『嚶鳴館詩集』を刊行。
- 同年
- 米沢藩の次期藩主・上杉治憲(後の名を鷹山)の師となる。
- 1771年
- 上杉治憲、自ら平洲の自宅に足を運び、米沢への訪問を依頼する。
- 同年
- 5月 米沢へ行き講義をする。
- 1776年
- 米沢に興譲館ができる。平洲再び米沢を訪れ、学則を記す。
- 1781年
- 尾張に行き、藩主・徳川宗睦に講義。
- 同年
- 八柱神社(東海市平洲中学校の北西1キロメートル)に灯籠を寄進。
- 1783年
- 尾張藩校・明倫堂竣工。今でいう校長になる。
- 1786年
- 木曽の代官、山村蘇門と交際が始まる。
- 1796年
- 9月 米沢へ行く。
- 1801年
- 6月29日平洲没す。
- 1807年
- 上杉治憲「嚶鳴館遺稿」10巻を刊行。
- 2000年
- 東海市で平洲サミットが行われる。
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